三緑亭の独り言

ただの大学生の独り言です。他人の日記を覗き見するような気分でご覧ください

191110 塾講師の話③

 さて、塾講師の話を散々(といってもまだ2記事ですね。第1話第2話も是非どうぞ。)してきましたが、今日も例によってその話です。何を書こうか全く定まっていないので記事の収拾がつかなくなる可能性もありますがとりあえず話を始めることにします。

 

 今思いついたので、今日は中学受験に対する僕の考え方を書いていくことにします。まず最初に、中学受験に賛成するか反対するかということについて考えると、これは間違いなく「イエス」です(ここでもし「ノー」と言うと現在のバイト先の顧客がいなくなることになりそれは僕に経済的デメリットをもたらすことになるわけですが、この僕の意見はそのことと関わりはありません。)。受験勉強は日本の学生ほぼ全員が一度は経験する行事ですが、それを小学生の時期にやっておくというのは本人にとって大変好ましいことだと思います。というのも、中学受験塾はある程度のレベルで生徒を管理し、宿題を課すことによって生徒に勉強させる組織であり、それが自然に生徒に勉強の習慣を身につけさせることにつながっているからです。言うまでもないことですが学習習慣はあるに越したことはないわけで、しかもそれを小学生という早期に半ば強引にではありますが身につけさせられるというのが大きなプラスになるのは間違いのないことでしょう。それに加えて、レベルが揃った集団の中で中高の教育を受けられるのも大きなメリットだと考えています。僕が受験した理由の1つは「公立中学に行きたくなかった」ということですが、僕の場合はおそらく受験しなかったら中学校で不登校になっていたでしょう。生徒と教員、双方のレベルが高い環境に早期から身を置くチャンスを獲得できる点で中学受験は大きな意味を持つと思います。僕自身、小学校の授業は常に暇を持て余し、時間の無駄だと思いながら学校に通っていましたが、芝に入ってからはそういうことはほぼなくなったので、時間の有効活用という点でも僕にとっては大きな意味があることでした。

 こういう話は塾もその辺のブログも謎の「中学受験アドバイザー」のような人もする話ですが、そんなことを書いてもつまらないし、そんなことを書くためだけにこんな長文を書くのは無駄の極致でしょう。僕が中学受験に賛成する理由の中でも大きな理由を占め、かつ普通の人が言及しないのは「理性が発達する前に受験勉強を終わらせられる」ということです。変に色々なことを考えるようになる前に、「先生がこれを宿題にしたから頑張ってやる」という発想で勉強できるうちに受験した方が成果が大きくなると言えるだろうということです。例えば大学受験の時は「どうして僕は今勉強しているのだろう」「今の勉強が自分の将来にどう関わってくるのだろう」などと余計なことを考えて、そういう無駄な思考をした末に肝心の受験に失敗するという本末転倒な人がたまにいます。高校受験のことはよく知りませんが一定数存在するでしょう。そういう悲劇が一番起こりにくいのが中学受験といえると思います。高校・大学受験生が陥るこのような思考は理性が発達していない小学生のうちには起こりにくいはずです。実際、教え子の中にこういうことを考えている子はいないですね。芝の先生は中1・2くらいまでは感性で生きていて、その後からだんだん理性が発達してくるということを言っていましたから、この理屈は妥当するものだと思っています。

 

 この前、驚きというかそれを通り越して呆れたのですが、四谷大塚の全国統一小学生テストに「年長クラス」というのを発見しました。おお、早期スタートもここまで来たか、という感じでした。どうなのかなあと思わないこともないですが通ってる本人たちは楽しそうなのでいいのではないかということは前に書いた通りの感想です。こうやって小さいころから楽しく勉強できる環境にいるというのが将来の学力面での発展に寄与するのだなということに最近気づき始めました。好奇心から勉強を始める子の方がその後の伸び代が大きい気がします。親が教育熱心で、子どもを塾に通わせる場合と比べると前者の方が圧倒的に伸びますね。当たり前といえば当たり前ですが。

 

 さてと、今日の記事はいつにも増してまとまりがありませんがそれは冒頭に予告した通りのことです。こういうのは有言実行であって褒められるべきだと思うのですがそんなことはないのでしょうか。今日はバイトなし。あとはサザエさんを見てご飯を食べて寝るだけ。